VUOY

VUOY 想い出波止場

山からあふれた水の中を 激しく転がる石がみえるだろう
これから いくつも命をのんで
川は垂直に また水平に
すべて平等に 人々にわざわいをもたらす

それでも海は 合併をくりかえし
粉々こなごなになった石ころを集め
はなと化した血 洗い落とした水は
くずれて ながれて あふれて かすれて こわれて わかれて ちぢんで 消えてゆく

まるで不必要と思われていた どうでもいいような 無駄なものだが 実は大変重大な意味を持つ
バカにされ 絶望にさいなまれた 受け入れられない 希望の石は ついにとんでもない方向へきを変え

どこでもとびらはついている けれど どこにもとびらはついていない
そして 出口から入ろうとする男と 入り口から出ようとする女と

海からあふれた水の上を 沈みかけるふねがみえるだろう
あれは 人が最後まで待ち続けたが ついに来なかった 神の最後の光

この曲は想い出波止場のアルバム「VUOY」(1997年)に収録されている表題曲である。
アルバム「VUOY」はどの曲も歌詞が記載されていないので、私が聴いたものを書き起こしたものです。「VUOY」の楽曲はいずれも、歌詞を聞き取れないように腐心されている。ので、聞き間違いはあると思います。

激しい演奏のエレキバイオリンにより非常に高揚感のあるアレンジで、私はこの曲以上にサイケでサイバーな曲を知らない。歌詞はともかく、アレンジは不朽の名作である。
歌詞に関しては、当時の日本のロック界隈では、曲のスケールに合ったスケールの歌詞をつけなければならないという思い込みがあり、宗教的でかつ暴力的なものとなったのだろう。想い出波止場がそんなセオリーを踏襲するのは意外な気がするけれども。なぜなら同じアルバムに収録されているシュガークリップではネオアコ調の曲に気持ち悪い歌詞を付けてみました、ということをやっているからである。
曲のスケールに合ったスケールの歌詞をつけなければならないという思い込みが払拭されたのは多分、椎名林檎がハードロックに私小説のような女々しい歌詞を載せて商業的に成功した頃からだろう。「ロックとは楽曲ではなくざまである」という板井昭浩氏の指摘は正鵠を射ていると思う。なおこの曲はサイキック青年団のジングルに使用されていた。