あなたは目の前にあるものだけを信じ、その裏にある本質を見出そうとしなかった

だから裏切られ打ちひしがれているのだ

完全にネタ枯れにつき、本blogはしばらく更新されないでしょう。
というわけで、多分、書いちゃいけないネタ。

学部4回生の時に、とある国立の研究所に付設された放射線実験棟に出入りしていた。
年度の初めに、放射線実験棟の会議室で放射線実験棟の新規利用開始予定者を集め、放射線実験棟に関する注意事項の説明が丸1日かけて行われた。
最初に、某大学の原子力工学科の助教授(当時)が放射能の恐ろしさを教えてくれるハズだった、のだが、例の、広島原爆の被爆者の、被ばく線量と白血病発病率のデータを持ち出して「1mSv(シーベルト)ぐらいまでなら大丈夫」と言い出した。なお、コヤツは2011年に関西ローカルのTVでまだ同じ主張を繰り返していた。どうやら本気で信じているらしい。
このせいで、一部の利用者の安全意識がガバガバになってしまった。
で、次に放射線実験棟の管理者から、放射線実験棟の利用のガイドラインとして年間積算で 200μSV(=0.2mSv)までの被曝が許容範囲であり、これは国の基準(当時)であるということが深刻な口調で告げられた。どうやら放射線実験棟の管理者は、原子力工学科の助教授が語ったユルユル基準に焦っているようだった。
それでも参加者の大半は「1mSvぐらいなら大丈夫」という意識を変えられずにいたようだ。実際、放射線実験棟の管理者より「年間 200μSvまで」発言が出た時にどよめきが起こり、参加者の中には説明後に「ここの基準厳しすぎない?」と口にする者も実際複数いた。

まずは同じ研究室のH君(「I can see clues all around me - たぬき日記」の主役のH君)の話。
H君は1回のご利用(約半日滞在)で、110μSVを越える被曝をした。
あまりにも高い被曝量だったので、H君は放射線実験棟の管理者から聞き取りを受けたが、H君は「オレは何もやってない」としか言わなかった。
自分はその日は別の実験をしていたため、彼がどのような実験をしていたのか詳細について知らないのだが、彼が何かしたというよりは巻き込まれた可能性が高いと思った。うちの研究室の助手の人もそう思ったようで、私に、放射線実験棟内では常にガイガーカウンターで安全を確認するようにと再度注意を促した。
結局、H君は「オレは何もやってない」としか言わなかったため、放射線実験棟の管理者から不信を買い、「次に同じことが起こったら 基準値の 200μSvを越えるから」という無茶苦茶な理屈で放射線実験棟を永久に出入り禁止となった。
これによりH君は卒論のテーマを変えなければならなくなった。

放射線実験棟に出入りできるのは十分な知識を持った人だけと思われがちだが、放射線実験棟側が承認し、最初の放射線実験棟の利用の注意事項の説明を受けたなら、案外素人みたいな人間も出入りできることとなる。
最初の放射線実験棟の利用の説明が十分なものであれば問題ないのだが、そうではなかったので、安全意識の低い人も紛れ込んでいた。
文学部の考古学の研究室が炭素原子の放射性同位体の比率を使った木製品の年代測定のために放射線実験棟を利用していた。いろんな材質の木の板に放射線を当てて、その変化を調べるのだが、1000年分の宇宙線相当の放射線を浴びた試料を普通に手づかみで扱っていて、見ていてこっちがクラクラした。我々は鉄製の火ばさみ等で扱っていた。
そもそもその試料が入っているガラスのケースは、アルミ元素の入ってない特殊なガラス製のものをちゃんと選んで使っているのだろうか?と気になるレベルだった。
このため私は彼らの実験の予約が入っている日には、自分の実験の予約を入れないようにしていた。

同じ研究室の博士課程にいたFさんの話。
彼は放射線実験棟で実験中に放射線実験棟を抜けて、学食で昼食をとった。その時に、放射線実験棟の出口で一旦被曝量測定のためのフィルムバッジを外さなかったため、放射線実験棟に戻ってきた時に自分の胸にフィルムバッジが付いたままであったことに気がついて、念の為、被曝量を測定してみた所、1μSv弱程度被曝していた。Fさんはこの事を誰にも話さなかった。
数日後、私は被曝量が高い人とは実験日を避けたいと思っていたため、他の人って1日にどれくらい被曝しているんだろうと気になって被曝量のデータを眺めていたところ、Fさんの被曝量が高くて驚いたことと、あの日Fさんは普通に昼飯食べてたよな?という記憶から、Fさん、やっちゃったなと気がついた。
その日からFさんは学食で食事を取らなくなった。つまり、一番滞在時間が長かったのは学食なんだから、学食が放射線物質か何かで汚染されているのだと考えたらしい。確かに、それ以外の場所で被曝したのなら、ありえないほど高い放射線量の場所があることになる。この時点でもFさんは「学食ヤバイ」とは誰にも言わなかった。
ある日、私は放射線実験棟から抜けて購買に向かったのだが、途上でフィルムバッジを付けたままであったことに気づき、一旦放射線実験棟に戻って被曝量のチェックを行った。すると 0.5μSVも被曝していた。私は、どうやら学食ではなく、放射線実験棟から学食の途上にヤバイ場所があるのだと気づいた。
それは、少し考えれば当たり前のことだが、原子力工学科の研究棟だった。