あきらめてしまえることは 深いところへ埋めて

あたりまえに生きているものには あざやかな意味がある

修士2回のときの話。
とある化学の学会で、他学部の教授が頓珍漢なことを言っていた。
あとでうちの研究室の講師の人(「明日君が息絶えたら いったいどれだけの人が悲しむのだろう - たぬき日記」にて既に登場)と、同じ大学の人間として恥ずかしいという話をした後、私が「なんであんな人が教授になれたんですか」と聞くと、講師の人は「あの人は実験が上手かったから。頭の良い人は他にいたけど、実験の上手いあの人が最終的に残った」と言った。
つまり、実験が上手いと、データがたくさん取れて、データが取れると論文が書けて、それが成果となって出世していくという。それが化学の分野の成果主義というものらしかった。

他学部のB助教授(「好みのギャルも ビデオばかり見てたなら 出会う機会も失せるぜ - たぬき日記」にて既に登場)が、新しく実験装置を組みたいと言い出した。分子ビームにレーザー光を当てた後、光吸収スペクトルを取るという。
それは大変そうだなと聞いていたら、うちの研究室の講師の人が「その分子ビームは、真っ直ぐ飛ぶんですか?」とB助教授に聞いた。するとB助教授は「分子ビームを発生させる装置は自作するので真っすぐ飛ばない」と答えた。分子ビームを発生させた直後に電極でイオン化してイオンビームにした後、磁石でまっすぐ飛ぶように調整すると言う。
これはアカンやつだと思った。質量分析器という分析装置がある。これはイオンビームが磁界内でローレンツ力によって曲がってゆく時、イオンの質量に応じて曲がり方(曲率)が違ってくるという原理を用いたものである。その原理から鑑みるに、B助教授が組もうとしている実験装置では、試料を変える毎に「磁石でまっすぐ飛ぶように調整する」ところから調整し直さなければならないのである。
B教授は「イスラエルの大学の研究室で、同様の実験装置で既にデータを出しているので、実現可能なはず」と言っていた。私も、分子ビームではなく、微小クラスターを扱ったものだが、同様の実験装置を使った論文を読んだことがあった。その分野でやって行くには、そういう実験装置を組む必要があることについては異論はなかったが。
うちの研究室の講師の人はB助教授の研究室の博士課程の人に「あんな実験装置、いつ出来るか分からへんから、卒業したかったら他のテーマに変えてもらったほうが良い」と助言(?)していた。

どんな奴も きっと奴も 君を知らない

とある国立の研究所の助手(当時。現在はとある大学の教授)の人は、私が見た研究者の中で一番実験が上手かった。
彼の研究室には、彼と学部時代から同級生だった女性の技官の人がいた。なお、私がその人達と出会った時には、互いに別々の人と結婚していた。
その技官の人も同様に、発想が独特な人よりも、結局実験の上手い人が残ったと言っていた。
技官の人曰く、助手の人は学部時代はあまり授業に出ていなかったため、彼は化学が好きではないと思っていたので、研究職に就いたことすらびっくりしているという。
その助手の人に銀ロウ溶接を習う機会があって、その時に助手の人にどこでこんな事を習ったのか?と聞いた。
彼は学部時代、配管工事のバイトをしていたのだという。塾講師や家庭教師のバイトに比べれば時給も安かったし、仕事もキツくて辛かったという。それでも授業も出ずに配管工のバイトを続けたのは、いつか研究者になった時に、実験装置を組むのに必要な技術を身に付けるためだったという。
頭が良いだけでちやほやされているお前が正直うらやましいが、何の苦労もしていないお前に職を奪われる訳にはいかないと言われた。

誰もいない道を ひとり 歩いていけば 目の前には何もなく

私の研究分野は実験のたびに実験器具をガラス細工で作成しなければならなかった。
私は強度さえ十分であれば良いと思っていて、造形的な美しさとかを全く気にしていなかったが、私が修士2回の時にうちの研究室に配属された他学部の学部4回生が、工芸展にでも出すつもりなのかと思うぐらい異常に美しさにこだわっていた。その学部4回生は、今思い返せばイラストも上手かった。
その学部4回生の作った実験器具を見て、学生実験担当の技官が「綺麗な実験器具を使うと、綺麗なデータが取れるからな」と言っていた。その場で何か言うのははばかられたので言わなかったが、この学生実験担当の技官の人の主張は因果関係の捉え方が間違っていると思った。
器用な人は実験器具を作るのも上手いし、データを取るのも上手い。それだけである。
なお、私の修士論文に載ってるデータはなぜか全部、教授の取ったデータなのだが、その測定で使った実験器具を作ったのは私であり、結局、実験器具の美しさと、データの美しさは因果関係がないのである。やはり、実験器具は強度さえ十分であれば問題ないのである。

そもそも私は手の指が短く、正しいと言われている方法で箸を持つことすら物理的に不可能である。
TV番組でタレントのお箸の持ち方がおかしいと苦情を入れる人は、それが差別につながるとわかって言っているのだろうか。
私は小学校の頃から字の汚さを再三指摘されていたため、3年ほど書道教室に通った。小学4年の時に毛筆は三段(小学校の部では最高位)となり、ほぼ毎月入選するようになった。ところが、肝心の硬筆は最高で6級で、6級と7級の間を行ったり来たりするだけだった。つまり、毛筆は手首や肘や肩や体全体で書くが、硬筆はほぼ指だけで書くため、それらは別競技なのであった。結局、硬筆では私の指の短さというハンデを跳ね返すことは出来なかった。

「代わりに実験してやる」とおかしなことを言う人も複数いたが(ていうか、そもそも私の修士論文自体が教授の取ったデータしか載っていないので、よく考えれば、既にそういう状態であったのだが)、結局、それ以上の技術の向上は見込めないと思ったため、化学を諦めたのだった。